西田の棚田とヨズクハデ
1.西田地区活性化の取組み
平成11年度に島根県の事業として、集落の活性化及び公益機能維持、向上に向けた取組みへの支援を目的に中山間地域集落維持・活性化緊急対策事業実施する。
具体的には一集落単位への活性化のための補助事業だったが、西田地区では五つの集落を一つとして事業に取組みました。
(1)集落のデータ
集 落 名 |
つくえばら ごう おいばら まち やたき |
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戸 数 | 17戸、14戸、7戸、19戸、5戸 | |
集落人数と高齢化率 | 男62人 女 128人 高齢化率45% |
(2)地域の概要
温泉津港から石見銀山遺跡へ通じる旧銀山街道の緩やかな街道を上がって行くと「降露坂」を前にした西田集落がある。集落は銀の生産量が盛んな頃、銀山街道の中継地の宿場町として栄えた。当時は「西田千軒」ともてはやされ、本陣をはじめ、宿屋、芝居小屋、お茶屋等があり、昼間から三味線の音も聞こえるなど当時は、おおいに賑わったと江戸時代の文献に残されている。今も残る豪農屋敷や街道各所の石碑に、往時の繁栄を見て取ることができる。
(3)集落地域活動の取組み状況
① 木炭製造グループの設立
昭和30年代まで盛んに生産されていた炭焼きを、昔を懐かしみ往年の経験者3名を中心に8名のグループで築窯から木材の伐採、炭の生産を行っている。近年では小学生の体験学習もかねて、世代間交流の場となっている。
② 西田葛生産グループの設立
今を去ること180年前、西田の古刹、真宗「瑞泉寺」の第12世勸学、自謙和上が奈良より葛生産法をもたらした。かつて日本一と称され昭和30年代まではこの地で盛んに生産されていたが、高度経済成長とともに衰退した。幻の葛粉とまで言われ惜しまれていた西田葛を復活・伝承すべく生産グループを立ち上げ、毎年1月の寒の季節に、わずかではあるが生産を行っている。
③西田ヨズクハデ保存会の設立
ヨズクハデの歴史は神代の時代からの言い伝えがあり、当地区の秋の風物詩として平成3年に島根六十景・日本の米作り百選に選定され、秋の刈り入れ時期になると銀山ウォーク、写真愛好家のスポットとして、訪れる人は年々増加傾向にある。
しかし、高齢化による後継者不足で稲作農家は激減しており、100基以上もあったヨズクハデも現在は4戸の農家が立てるのみとなっている。この伝統農法を後世に残すため、「ヨズクハデ保存会」を設立し伝承保存に努めている。
2.西田ヨズクハデ保存会の組織概要
組織の名称 | ヨズクハデ保存会 | |
設立年月日 | 平成17年9月1日 | |
会 員 数 | 14名 | |
主な活動内容 | ① 伝承農家4戸による伝承保存
②酒仙蔵人・五郎之会との交流 ③地元小学生との農業体験学習 |
3.現在の保存会の活動内容
(1)ヨズクハデ作り
4戸の農家が中心となり会員とともに毎年約15基のヨズクハデを作り、伝統農法を継承している。
(2) 酒作りの会「酒仙蔵人・五郎之会」との交流
平成18年より酒米作り・酒造りの会との交流。県内外の会員約50名とともに田植え、稲刈りなどの農業体験を行い地域のヨズクハデ保存に協力している。
(春) 水上神社で豊作祈願祭を行ったあと、幻の酒米「亀の尾」を昔の農具で手植え体験。 田植えが終わったあとは、西田産の「おむすび」で昼食交流会。 |
(秋)水上神社で抜穂祭のあと「酒米 亀の尾」の手刈りによる稲刈り。ヨズクハデの作り方や稲のかけ方を体験。終了後は葛水と田舎料理、夜は生酛造り純米酒「開春西田」(原料米:地元産酒米山田錦100%)を囲んで交流会をしています。 |
(3)小学生の体験学習と世代間交流
小学校のふるさと教育の一環として、地元農家が先生となり地域の歴史、文化を後世に伝える活動を行っています。ワカメづくり、田植え、稲刈り、ヨズクハデ作り、炭焼き、干し柿作り、葛粉作りなどの体験学習を行うことにより、子供たちに「ふるさと」の良さを伝えています。
参考資料
◆「ヨズクハデ」のいわれ
ヨズクハデの「ヨズク」とは、土地の方言でフクロウを指します。はでを組み上げた姿が、フクロウが羽根を休める姿に似ていることから名付けられたそうです。
また、一説には神代の昔、海上を守る上津錦津美命(うわづわたつみのみこと)と上筒男命(うわづつおのみこと)の2柱の海神が海からお上がりになった際、稲の干し方に苦心する農民を見て、漁師の漁網の干し方を伝えられたことが起源とされています。
ヨズクハデは、狭い面積で材料も普通のハデの三分の一ですみ、多くの稲束を干すことができます。また、海風にも倒れることが少なく、短時間で組み立てられ、急峻な地形に棚田が広がる西田地区にはうってつけの干し方であるといえます。
◆「夢のある米作り酒造り集団」酒仙蔵人・五郎之会
平成10年2月、旧温泉津町では、地酒造りを地域振興に活かしていこうと、町内の20代から50代の旅館店主、造り酒屋、農業、自営業、会社員、公務員など異業種たちが世話人となって、「夢のある米作り酒造り集団:酒仙蔵人・五郎之会」(シュセンクロウド・ゴロウノカイ)を結成しました。
五郎之会は、酒米生産から日本酒の製造まで全て自分たちの手で行い、この会に自主的に結集した会員同士が時間を共有し合い、温泉津の自然、歴史や文化に触れながら交流を深め、地域・人づくりを行うことが狙いです。
活動は、田植え(5月)~稲刈り・ヨズクハデ製作(9月)~日本酒の仕込み(11月)~蔵出し(3月)、という年間を通じて行います。
100名を超える会員は、主に山陽(広島)方面、遠くは関東周辺からの参加があります。当初、温泉津町の井田地区で行っていた活動の拠点を、平成18年、石見銀山遺跡の世界遺産登録を控え、銀山街道の景観保全の機運が高まっていた西田地区に移し、現在に至ります。
会の名は、温泉津町の火の神様「五朗の王子様」に由来し、夜な夜な民家の戸を叩いて回るやんちゃな王子が、集落の大火を機に神様として敬われるようになった。
「我々も平成の五郎になろうや」、会の名にはそんな思いが詰まっています。
今後は、この活動をもっともっと地域に定着させ、県内外に広くこのネットワークを拡大していこうとしています。